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スタッフブログ

マラソンと花と令和と

2019/05/02

令和の時代の幕開けとなりました。また5月1日は当院開院2周年の記念日でもあります。令和は日本最古の歌集『万葉集』の言葉から創作されたとの由、素敵な元号ですね。『梅の花の歌三十二首』の序文からの引用とのことです。『初春の例月(れいげつ)にして気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す』この時代は花といえば桜ではなく梅だったのですね。平安時代以降に和歌に詠まれる花として、梅と桜が逆転したとのことです。

 

先月のことになりますが平成最後のマラソン大会として、47日幸手さくらマラソンに出走してきました。写真でもお分かりのように、桜ほぼ満開です。脚の故障中ですので、ガチランではなく、ゆるランでの10マイル(16㎞)走。有名な権現堂の桜堤周辺を、好天気にめぐまれ駆け抜けました。走っている初対面のランナー達と桜を愛でながら雑談したり余裕の走り。でも13㎞地点で、後方から迫ってきた往年の名ランナーであるゲストの浅井えり子さんになんなく追い抜かれて、変にスイッチが入っちゃいました。それからスピードを徐々に上げまして、最後の1㎞ラストスパートをそれまで抑えていた分激走し、浅井選手とほぼ同時にゴール。ああきつかった。

 

『ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃』(西行作、山家集より)有名なエリート和歌です。西行法師は百人一首で知られる平安末期の歌人、文武両道で美形であったとも伝えられています。エリートコースを捨て23歳の若さで出家。日本各地を放浪し、多くの和歌を詠み、最後の眠りについたのが、大阪府南部の河南町にある弘川寺です。文久6年(1190年)旧暦216日この日は満月であったとのことです。まさに彼の詠んだ歌のとおりであったとのことです。弘川寺、私もいつか訪れてみたい(小生は岡山生まれ、大阪育ち)。

さて令和最初で、今シーズン最後の参加大会は、新緑の仙台の街を走る予定です。頑張りすぎないように頑張ってきます。