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スタッフブログ

トリニクってなんの肉!?

2020/04/14

 

先ごろ野村克也氏(以下敬称略)が亡くなりました。名選手でしたが、監督としても、才能はあるも無名に近かった選手を見出す慧眼と一流に育て上げる指導力は並外れたものでした。それに加え、かのとんでもない言動と行動をおこす沙知代夫人を愛し愛され続けた男としても尊敬に値しますね。大した男です。昨年亡くなった400勝投手金田正一氏(以下敬称略)ともども、まさに“巨星墜つ”の感あります。さて、金田と野村は活躍した時代が重なってはいるものの、同じチームで一緒にプレーしたことはありませんでした。しかし、スワローズ球団に所属したことがあるという点では共通しています。現在の東京ヤクルトスワローズの前身はサンケイアトムズでしたが、その前は国鉄スワローズでした。金田は国鉄スワローズ球団誕生まもなくから投手として活躍します。野村克也は当時万年Bクラスだったヤクルトスワローズを監督として3度のシーズン優勝へと導きます。『勝った試合には勝った理由はいらない。負けた試合には必ず負けた理由がある。』言葉が正確ではないかもしれませんが、ノムさんの言葉の中でも印象的でした。

 

ところでスワローズのマスコットである“ツバ九郎”という名前は、ツバメの古称である『つばくろ』に由来しますが、『鍔(つば)迫り合いに強く、接戦を苦労(九郎)して制する』という思いが込められているのだそうですね。最近になって知りました。では、なぜツバメなのかというと、(若い選手達が年上のご婦人方の愛人となっているということではなくて)国鉄時代の特急“つばめ”号に由来するのです。往時、東京-大阪間を行き来する特急“つばめ”号は、日本を代表する花形の特急列車でした。1954年に作成されたモノクロ記録映画『つばめを動かす人たち』(ネットで観れます)を観ると、この特急列車が乗客乗員からいかに愛されて誇りとしていたかがわかります。SLファン、鉄道ファン必見の映画ですね。“つばめ”は先頭車両にヘッドマークがとりつけられた初の特急列車でもありました。運行当初、東京-名古屋間はすでに電化されていましたが、名古屋-京都間は未電化でした。1955年名古屋―米原間、1956年米原-京都間が電化され、東海道本線は全線電化が完成します。本作品はその2年前の作品ですので、名古屋でEF58形電気機関車から蒸気機関車SLのC62(シロクニ)に付け替えて大阪まで走っていました。乗客のお世話をする『つばめガール』が、大阪駅到着後、展望車の花を機関士・機関助士(石炭の投炭などを担当するとともに機関士を補助する係)に(映画のための演出かもしれませんが)プレゼントとして渡すほっこりしたシーンもあります。そのころ、憧れの職業である『つばめガール』と機関士、機関助士とのロマンスもきっとあったことでしょうね。 さて当時の最新鋭かつ最大のテンダー式客車用蒸気機関車であったC62(シロクニ)ですが、とくにC62-2(2号機)、C62-18(18号機)が頻用されました。C62のつばめ牽引仕様として両サイドの除煙板にステンレス製の白い“つばめ”のマークが取り付けられたのです。この映画でのC62のマークをみると白いつばめの頭が下がっているので、通称『下がりつばめ』ということからC62-18号機であることがわかります。つばめの頭が水平になっていればC62-2ということになります。C62-2は、C62(1~49号機まで製造された)の中で現在に至るまで動態保存されている、つまり実際に動く状態(走行することは許されていない)で保存管理されている唯一のシロクニで、「スワローエンゼル」の愛称で知られ京都鉄道博物館に展示されています。You Tube『C62重連急行ニセコの最後の勇姿』にてC62-3と重連で走るC62-2の勇姿を観ることができます。両機はC62-4とともに、1948年に山口県日立製作所笠戸工場で自動給炭機(人力だけでなく動力で石炭を釜にくべる)の試用機として製造され、同年広島県糸崎機関区に新製配置されました。その後C62-2は1950年には宮原機関区へ転属となり、実際にステンレス製のつばめマークがついたのは1951年からだそうです。

 

機関助士の仕事ぶり、生き様がわかる映画をさらに紹介します。土本典昭監督(監督デビュー作)による岩波映画製作所の映画『ある機関助士』1963年、常磐線・上野~水戸間を走る急行みちのく号の蒸気機関車で働く機関士と機関助士を記録した国鉄PR映画です。指差しで機関士が『第一閉塞進行!』、つづいて機関助士が『第一閉塞進行!』と呼応。乗車勤務を終え、二人で真っ黒に汚れた頭や顔を石鹸でガシガシ洗っている。こういうのがかっこいいな。当時度重なる大事故を起こしていた国鉄の安全をPRする目的で企画された映画でしたが、むしろ機関助士らの過酷な労働をあぶり出すことになった話題作です。音楽がまた良いですね。映画“ゴジラ”の何となく似ているなと思ったら、音楽担当の三木稔さんはゴジラ作曲の伊福部昭さんの弟子でした。納得。

 

新型コロナウィルスが猛威を振るっています。エントリーしていたマラソン大会が次々と中止になり、モチベーションが上がらない小生でありますが、コツコツと時間を見つけては人込みを避けてジョグしております。ところでこのウィルスですが、食用コウモリから他の動物(センザンコウ?)に感染し遺伝子変異し、武漢の市場でヒトに感染したのが最初であるということになっています。コウモリから検出されるコロナウィルスと今回のウィルスCOVID-19の遺伝子の相同性が極めて高いということが根拠の一つとなっています。コウモリは、もちろん鳥では無く、鳥以外で唯一空を飛べる動物です。ムササビも飛ぶという印象がありますが、正確には飛んでいるのではなく滑空しているだけです。食用になるというのは知りませんでした。飛行機以外で空を飛んでいるものはなんでも食用になるというジョークもあるようですが、アジアや太平洋諸島で広く食されているようですね。小生が小学生の頃、校庭の金網によくコウモリが止まっていたのを素手で掴んで女の子にみせて恐がらせていたのを思い出しました。今じゃとても気味が悪くて恐くてできませぬ。

 

1月牛久シティマラソン10㎞出走してきました。常磐線ひたち野うしく駅下車。きれいな新しい駅です。駅の改札口を出ると、スタッフの人たちが数多く配置されていて、駅前でのシャトルバス乗り場まで案内してくれています。こんなに丁寧なマラソン大会ははじめてだな。牛久市の教育委員会が運営しているのか、きちんとしているんだな、なるほど。会場には出店もいくつかあるな。ハーフじゃなく10㎞だしわりと暖かいから走った後ビールなんていいな。さて住宅街のど真ん中からスタートし、街中を走り回る大会。短い距離の部もあり小さいお子さんも参加するので、さすがに応援が多い。タイムはPBにわずか届かなかったが、まあそれでも満足できた。成績優秀者を表彰している傍をすり抜けて、売店で焼きそば食べてビールなんぞ飲もっか。と思ったら酒類は全く売っていない!出店のおにいちゃんが、『この大会はね。市の教育委員会が主催しているからね、酒類は出せないんですわ』と。そっかあ。じゃあシャトルバスで戻ろうかと思ったら、えッ、帰りはシャトルバスないの?仕方なく会場から徒歩でトボトボ30分はかかったよ。行きはよいよい帰りは辛い。疲れた脚にムチ打って駅の階段を走って昇り降りし、発車時刻ギリギリに常磐線各駅停車に飛び込むと、ヒー、なんかイベントがあったのか、乗客で混んでいて座る席がない。脚が疲れてんのに立ったまんまで各駅停車で東京へ。仕方ないので先頭車両の運転席の後ろ(座れないときの私の大好きな場所)で、窓ガラスにもたれかかって運転室を覗いてみたところ、珍しく(最近はそうでもないか)若い女性の運転士でした。そうだな、男だけの職場ではないもんな。『第一閉塞進行!』と発声し指差確認。カッコいい。これは昔と何ら変わらないな。

 

結局、東上線沿線で一人、遅い昼食を“チンチロリン”とトリの手羽元のから揚げを食しました。走った後はほんと美味しいな。チューリップ揚げはどうやって作るのかネットで検索してみました。フーンなるほど思ったより難しくはなさそうだな。そして手羽元の先にある部分がご存知の手羽先(写真)ですね。文字通り、ニワトリの翼の先の部分のことですが、名古屋の名物として有名店があるのをご存知の方もおられると思います。これも小生大好きです。ところで鳥の前翼は3本指なのをご存知でしょうか。実はこの鳥の3本指がどの指に相当するのかが、学術的に長らく論争の種になっていたのです。どうでもいいようなこととお思いでしょうが、まじめに論争されてきたのです。鳥類は恐竜の一部が進化して生き残ったものであるという“鳥類恐竜起源説”をご存知ですか。映画“ジュラシックパーク”の第1作目の中でも、恐竜学者が言っていましたね。また最後の場面で鳥が群れをなして飛んでいる姿を映し出していたのが印象的でした。鳥類が恐竜の一部から進化したことはさまざまな証拠から支持されていますが、恐竜の前足の3本の指は第1-2-3指であるのに対し、鳥類のそれは第2-3-4指であるというパラドクスが鳥類恐竜起源説の問題点として指摘されてきました。始祖鳥の発見以来150年に及ぶこの論争に、終止符をうったのが、2011年東北大学大学院生命科学研究科器官形成分野の田村宏治教授らのグループです。彼らは、発生学の手法でもって、発生初期に起こる指原基の位置のずれが、前肢の第1-2-3指形成の原動力であることをつきとめました。課題であった最後のパズルピースが見事にはまったわけです。この発表によって恐竜の一部は鳥として生き残ったという説は確実なものとなったのです。恐竜は4500万年前に絶滅してはいなかったのです。

 

そうそう、埼玉でトリといえば、東松山の有名な“やきとり”について言及せねばなりません。しかし鶏ではなく、実は豚なのは有名で、小生も好物としてよく食させていただいております、ハイ。この町で“やきとり”といえば豚のカシラ肉を炭火でじっくり焼いたものを指します。戦後まもなく、それまであまり利用されていなかった豚のカシラ肉の活用を考案した韓国出身の大松屋初代ご主人が、唐辛子入りのみそだれと焼いたカシラ肉をあわせたものが広がった(東松山市ホームページ)のだとか。発売当初は“ヤキトン”として売り出していたようですが、どうもしっくりこないとの理由から、すでに定着していた“焼き鳥”にあやかって、平仮名表記の“やきとり”にしたと。なんや、ややこしいこっちゃな。東松山市は全国やきとり7大都市のひとつに挙げられているそうですね。なんだか、このブログ書いているうちに、やきとり食べたくなってきましたので、そろそろ終了して、テイクアウトしにいこうと思います。