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スタッフブログ

やたらに長い“やおい”音楽話

2020/02/06

 

 

東松山元旦マラソン10㎞に出走してきました。話題になっているナイキのヴェイパーフライのシューズの廉価版(本物の約半額)を初めて履いてのレースです。廉価版とはいっても、ガチのマラソン選手達の普段の練習用として使用されているもので、厚底でカーボンプレートが搭載されています。これまで履いてきたシューズとは異なり、自然にミッドフット~フォアフットで着地するようになっており、確かに強く蹴りだすと前へ推進する力がもらえるような感覚がありますね。東松山市役所内でピンク色のシューズの紐を結んで、スタートラインに立ちます。肌寒いですが、走るには丁度よい天候。元旦の朝から走りたい物好きな(走ることが本当に好きな)ランナーで一杯です。スタートから、(シューズショップの店員の助言通りに)空き缶をカーンと踏みつぶすような感じで踏みつけます。出だしの2㎞をこれまでにないペースで駆け抜けたところ、シューズに脚はかろうじてついていくものの、呼吸と心臓が追いついていかず、最初の登りにさしかかったところで失速、いつものスピードに戻ってしまいました。あとは後続のランナーに少しずつ抜かれっぱなし、後半は下り基調で、なんとか粘ってゴール。シューズのおかげか、わずかではありましたがPB達成!正月早々縁起がいいです。走った後に振舞われた甘酒、涙が出るくらい強烈に甘かった。文句を言っちゃいかんですね。正月にもかかわらず大会関係者の皆さま感謝いたします。

 

さて写真は、年末にでかけたミュージカル【サタデーナイトフィーバー】観に行ったときのショットです。バブルの時代にはやったのですからご存じない方も多いとは思いますが、ディスコブームのさなか、ジョン・トラボルタ主演の映画が有名ですが、今回はミュージカルです。主演は英国人、元バレエダンサー、また彼の脚が長くて、カッコよくって、ダンスのキレがあって。恋しちゃいそうなくらいです。ビージーズの曲が随所にちりばめられ、ビージーズの役の歌手3人は見た目もそっくりで高音のパートのファルセット(裏声)もとてもきまっていてグッド。つきぬけるようなファルセットが輝いていました。中高年層が多い観客も最後は総立ちでフィーバーしました。

 

ところで、いかなる器楽の名演奏よりも、人間の脳にとっては人間の歌声がもっとも快感が得られるそうですね。そして最上の歌声を追求すると、バリトンや、ボーイソプラノ、ソプラノなどとなるのでしょうが、さらに究極の果てはカストラートに行きつくのだそうです。ご存知ない方のため解説すると、カストラートとは、その昔ボーイソプラノの少年が年頃の変声期を迎えてしまわないように、睾丸を摘出してしまわれた人たちのことを言います。バロック期には最盛を迎え、イタリアでは年間に数千人ともいわれるカストラートが誕生し(貧しい親の都合などで誕生させられ)、音楽院に入学してゆき、その中から、教会音楽はてはオペラ界に進出してゆき、巨万の富と名声を勝ち得た者も現れたと言います。このころの教会内では女性は声を発することが禁じられていたため、合唱や歌曲の高音部はボーイソプラノが担当したのですが、体が小さいため声量が不十分だったり、歌唱技術が成熟する前に変声期を迎えてしまったりで、そこにカストラートが生まれる下地があったのでしょう。そんな残酷な処置、子供が進んで受けるとは思えませんから親のエゴ、あるいは、子供に立身出世を期待してのことだったのでしょう。かのベートーヴェン少年も素晴らしいボーイソプラノだったらしく、周りからカストラートになるよう勧められたものの、父親の反対で不幸な処置を受けずにすんだそうです。映画『カストラート』というのがあります。バロック時代に実在した史上最高のカストラートと称されたファリネッリの生涯を描いた伝記映画(1994年作)です。背が高く(去勢されたために男性ホルモンが軟骨閉鎖をおこさないため高身長になることが多い)ハンサムなファリネッリが、舞台で朗々と歌うと(肺活量が多く、かつ歌唱技術により1分間息継ぎしないで歌えたらしい)、男たちを、国王を魅了し、淑女もあまりの美声に興奮して気絶してしまう場面が印象的でしたね。 “地上に舞い降りた天使の歌声”をもつ歌手としての存在感が際立っています。3オクターブ半もの声を出したといわれるファリネッリの歌声を再現するために、男性カウンターテナーを低音部に起用し、高音部は声質の良く似た女性ソプラノ歌手を起用。フランス国立現代音楽研究所の音声分析班がコンピューターを駆使して統合するという方法がとられ、“天使の歌声”として完成させています。

 

カストラートの歌がどんな感じであったかを知る方法がこの映画の他に二つあります。一つは、記録に残っている歴史上最後のカストラートであるアレッサンドロ・モレスキ(1858~1922)の録音(1904年)です。古い録音が奇跡的に残っています。私もCD、30年くらい前に購入して今も手元にあります。ネットでも検索して聴くことができます。かつてはシスティナ礼拝堂で主役として歌ったり、国王の葬儀にも呼ばれたほどの歌手(ローマの天使と呼ばれた)ではあったものの、最盛期をすぎての歌唱です。高音に伸びがあり、技術の高さも感じますが、確かにきれいといえばそうですが、当時流行の歌唱法が現代のわれわれの耳にはなじめないからでしょうか、違和感をおぼえるところもあります。もう一つは、日本のソプラニスタ岡本知高さんが出演したNHK-BS番組(2010年)【プレミアム8 紀行 夢の聖地へ ナポリ 響け!幻の美声】です。ネットで検索してみることができます。ソプラニスタとは男性であって女性ソプラノの音域で歌える声楽家のことで、世界にもほんの数名しかいないそうです。ナポリの音楽院を訪ね、教会で歌います。岡本さんが、ファルネッリの師匠である当代随一の音楽家ニコラ・ポルポア作曲の曲を歌い、かつてソプラノ歌手として活躍し現在音楽教師をされている方にレッスンを受けている愉快な場面もあります。岡本さんの音楽への真摯な姿勢が感じられた良い番組ですね。

 

なぜ2世紀にもわたってカストラートが、民衆から教会、そして貴族、国王に至るまで魅了しつづけたのでしょう、またローマカトリック教皇が認めたのでしょう。かれらは単に変声を迎える前に去勢されてボーイソプラノを維持したのではなく、その後約10年間近く音楽院で厳格な教師のもと徹底的に音楽教育、歌唱法を身につけます。その声は、魅力的で、神に近い天使の声、『バロックの宝石』と称されました。神に近づくために、いかに人工的であっても、装飾的なこともすべて赦される。バロック時代ですね。その後啓蒙主義の時代になってくると、非人間的であるという考えが広まってきてやがてカストラートは衰退の道をたどります。かのモーツアルト少年が父親に連れられて、当時の音楽先進国イタリア旅行した時期はまさにそんな過渡期の時代でした。どんなに優れた演奏家、作曲家であっても、まずイタリアで認められなければならない時代です。ミラノに滞在中に、モーツアルトのお気に入りのカストラート歌手ヴェナンチオ・ラウッツイーニのためにモテット『踊れ、喜べ、幸いなる魂よ』を作曲します。私もCD(ただし女性ソプラノ歌手キリ・テ・カナワ)もってます。またモーツアルトは、システィナ礼拝堂だけで歌われるアレグリ(彼はカストラートであったといわれている)作曲のミゼレーレを聴いただけで暗譜し、教会の外で正確にスコアに記録しています。モーツアルトはサヴァン症候群であったというのは本当だろうな。ルネサンス様式のポリフォニー(4声と5声からなる二重合唱)であるこの曲は、霊性を保つために楽譜が門外不出となっており、反した者は破門されることと決められていました。しかし、モーツアルトはこれを記譜してしまいます。しかし破門されることなく、むしろ賞賛され、これを機に楽譜は公に出版されていきます。楽器の伴奏は伴わないア・カペラ(つまり礼拝堂ふうに)の合唱曲。私も若い時から何回CDでこの曲聴いたかわかりません。聴いたことが無い方、是非You tubeでキングスカレッジ(教会で歌っている動画が素敵です)やセントジョンズカレッジの合唱で聴いてみてください。ともにボーイソプラノが良いです。カストラートで聴いてみたかったな。心が浄化されますよ。ところでケンブリッジ大学にはカレッジがいくつもあり、キングスカレッジ、セントジョンズカレッジ、トリニティカレッジ(これは男女混声)などが合唱団では有名です。以前ロンドンに在住していたとき、キングスクロス駅(ハリーポッターのホグワーツ行き列車が出発する駅)を出発して北へ1時間くらいのケンブリッジに何回か行っていました。キングスカレッジのチャペルで聖歌隊の合唱を聴き終わって、急ぎ足で行くと(ショートカットして中庭の芝生を生徒や部外者は歩いてはいけないらしくカレッジの教官のみが許される行為らしい。こういう伝統を頑なに守り続けているのが英国らしいですね。)セントジョンズカレッジのチャペルでの聖歌隊の合唱(1670年創設以来月曜日を除く毎日おこなっている)が始まるのにギリギリ間に合うので(カレッジの順番が逆だったかも?)、はしごしていました。グレゴリオ聖歌から比較的新しい曲まで、世界最高峰の合唱をなんと贅沢な。セントジョンズでは、ボーイソプラノの少年聖歌隊員達と見習い生(ホグワーツの1年生みたいに可愛かったです)、そして低音部を受け持つカレッジの学生隊員で構成されていて、皆カレッジで寮生活らしいです。一人、英国人と日本人のハーフの小さな男の子がいましたね。日本人が聴きに来ることは珍しいのでしょう、(またあの人来てる)なんて私の方をチラチラよそ見ばかりしていたので、上級生につつかれ注意されてましたね。あの子今どうしてるかな。といってももう30歳くらいか。

 

モーツアルトは青年期以降、カストラートのために作曲はしなくなります。いろんな歌手や楽器の名手のために曲を作り続けるのに不思議ですね。オペラを作曲し続けても初期のオペラ作品と違い、カストラートの役どころがありません、以下私見ですが、代わりにより低い音声部のバリトンにオペラの主役を持ってきて人間臭い芝居の音楽を深めていっているのでしょうか。人の魂を震わすような声量と技術を披露することだけでない音楽を作っていこうとしたのじゃないか。それにモーツアルト自身、フリーメイソンに入信するくらい啓蒙思想にかぶれていっているので、人工的な“化け物”であるカストラートを見限ったのかもしれません。

 

イタリアには野蛮な父親がおり、財産のために情を犠牲にして、子供たちにこの手術を受けさせている。(ジャン=ジャック・ルソー)

 

このアレグリのミゼレーレを一躍有名にしたのは1981年のアカデミー賞4部門受賞作の映画『炎のランナー』です。当時とても話題になった映画で、小生もはるか昔、学生時代に映画館で観ました。陸上競技に情熱を燃やす若者たちの映画ですが、宗教的、民族的背景も描かれた名作です。真っ白いウェアを着て、イギリスの若者が笑顔をみせつつ集団で走っているところに流れるテーマ曲はあまりにも有名ですので、皆さまも一度はどこかで聴いたことがあると思います。分かり易く言えばスポーツに打ち込むことは神に仕えることと同じという、いわゆる筋肉的キリスト教の映画ですね。この映画の中でアレグリのミゼレーレの曲が流れる場面があります。さて1924年パリ・オリンピックの100m走に出場するよう選出されるも、その予選が日曜日(安息日)であるので出場を辞退するという牧師の息子エリック・リデルが主人公の一人です。エジンバラ大学生のスコットランド人です。代わりに400m走への出場権を同僚が譲ってくれて、それで金メダルを獲得しちゃいます。今じゃ考えられない話ですね。金メダルを得て故国の英雄となって凱旋して後、彼は中国の天津(生まれ故郷らしい)へ牧師として赴任します。まもなく大戦下となり、不幸にも日本軍の外国人収容所へと捕囚されてしまいます。そこで同じく収容されている英国人少年スティーブン・メディカフに大切な神の教えを説きます。その少年が、後年、牧師となって日本で布教活動を行います。自らの半生を振り返り、手記 『闇に輝くともしびを継いで』を著します。その中の一説を紹介します。

 

あるとき彼は自分のランニングシューズを持って、私に会いに来てくれた。彼独特のはにかんだようなぶっきらぼうな言い方で、『きみもその靴をかなりはきつぶしているようだね。
また冬がくることだし、僕のこの靴なら2-3週間はもつんじゃないかな』と言うと、軽くうなづいて私の手にその靴を押しつけていった。それはぼろぼろだったが、彼にとって非常に意味のある競技会で使った靴だったことを後に知った。あちらこちらにつぎはぎがあったが、それは彼自身が私のためにしてくれたことだった。脳腫瘍の症状に苦しめられながら、どれほどの苦労をしてそのつぎをあててくれたことだろうか。それから3週間ほどして、エリック・リデルは天国へ帰っていった。43歳という若さだった。私を含めほんの十数人だけが、警備兵に伴われて墓地まで行った。彼がくれたランニングシューズをはいてお棺をはこんだ。殺風景な墓地の穴に彼のお棺をおろし、寒さに震えながら収容所に帰る道すがら、私の心には複雑な思いが渦巻いていた。『これが中国にいのちを捧げた男の迎える結末なのか。妻にも子供にも死んだとしらせることさえできないなんて。ゴールドメダリストであり、聖人のような人物だったのに。でもいつかきっと、神さまがエリックに栄誉を与えてくださるにちがいない。僕たちは今、とにかく収容所生活を続けていかなければならないんだ。きっとやるべき仕事が残っているんだ。神さま、もし僕が生きてこの収容所を出られる日が来たら、きっと宣教師になって日本にいきます』メディカフは誓いを実現したのでした。

 

例のナイキの厚底シューズ、世界陸上連盟が正式に使用を認めました。ほっとしましたね。
『陸王』でもそうですが、ランナーもメーカーも、シューズにかける熱い思いは、古今東西みな同じですね。

 

今回、調査資料の一環として昨年発刊された漫画『カストラート』をとりよせて読んでみました。音楽院生エミリオとカストラートのアルフレド・モレスキの恋の物語でした。小生、初めてBLなるものを読んだのでした。