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スタッフブログ

カエルの孫はカエル?

2019/10/21

『国鉄の香り石鹸』なる商品をネットで衝動買いしました。懐かしい国鉄の車内の香がするという触れ込みの商品です。なんでも依頼を受けて、香料メーカーが旧車両の匂いを分析して化学的に再現することに成功し、この春に発売にこぎつけたのだそうです。こういう商品を思いつく発想がすごいな。他にスプレーの製品もあり、鉄道ファンなら、お気に入りのソファーになんかスプレーすると良さそうですね。(以下商品説明文から抜粋) “あの香りに包まれたいけど、もう包まれることはないのか、と半ば諦めていました。そんな方も多いと思います。あの国鉄独特の香り。このフラグレンスは、少年のアツい頃の自分を思い出させてもらい、元気がでました。”(ホリプロ南田祐介マネジャー)

 

さて高崎美マラソン子宮頸がん予防啓発マラソン大会10㎞の部に出走しました。当日は参加ランナーのみならず応援者も500円つまりワンコインで会場のバス内で頸がん検診が受けられます。といっても私は単にランナーとして参加しただけですので、当日はただ走るだけです。気温21℃、晴天。高崎市の中心街を周回するコースです。ランナーは女性の健康の象徴である“オレンジ色”の物を身に着けて走る“ドレスコード”があります。ウェアや顔の塗り物、ネールなどなんでもよいことになっています。小生は駅伝部のオレンジ色Tシャツで出陣。マラソン大会としてはさすがに女性ランナーが多めですが、結構オジサンも多いですね。10㎞は連戦PB更新しているので、今回もPBペースの勢いで走り、最後の2㎞でロングスパートしてみました。気づくと私の100mくらい前方を走っている緑色のカエルの被り物をしたコスプレランナーを追い抜くことを目標として頑張りました。このカエルランナーですが、近づいてみると緑のカエルのかぶり物に(ドレスコードを遵守するためでしょうか)オレンジ色のテープかなにかを貼り付けているのか巻いているのか。緑とオレンジのツートンカラーが目を引きます。力走しているカエルランナーを追いかけているうちに、ふと、『湘南色』だな。懐かしいな。好きだった『急行鷲羽(わしゅう)165系』思い出すな。残り400mくらいのところで追いつき追い越せました。そのままゴールへ飛び込むべく最後の上り坂を力走していたところ、アレアレ変だな、ゴールがまだやって来ないぞ。と気を緩めてしまって、ゴール寸前のところでカエルランナーに抜きかえされてしまいました。声援をおくる人に答えたのでしょうか、あるいはゴールするときに発声することに決めていたのか、『ケロ、ケーロ!』と奇声を上げていました。やはりGPS付きランナーズウオッチでは150mくらい余計に走っていました(そういえば昨年のこのマラソンの口コミに複数のランナーから距離が長いと指摘があったな、忘れてた)、それでもPBを30秒以上更新!次戦では、PBのさらなる更新も期待できるな、ヨシッ。会場を後にし、日頃我慢しているサーティワンのスモールのダブルを高崎駅エキナカで食し、大宮に戻りました。まだ時間が早いのでふと思いついて、テッパク(埼玉鉄道博物館)へ寄ってみることにしました。日曜日のせいかさすがにテッパクは家族連れや鉄ちゃんで一杯の人。子供や鉄ちゃんに混じってC57(シゴナナ別称貴婦人)や色んな客車の写真を撮ってきました。昭和30年ころの急行列車の座席(当時のまんま)も展示してあったので、座ってみると意外にもフカフカで座り心地がよい。もちろん座席もクンクン嗅いでみました。1時間くらい居て今回はサクッと帰ってきました。ここは楽しいですよ。行ったことのない方、是非行ってみてください。

 

小生、今でも移動に際して飛行機よりは鉄道が好きですが、幼少の頃、実はかなりの鉄道好きでした。あの当時は、男の子が憧れる職業の上位に鉄道員があったのです。今はYouTuberだって?なんじゃそりゃ。話が“脱線”しました失礼。暇さえあれば時刻表の本を飽きずにみてたり、宇野線(現在の瀬戸大橋線)を走る貨物列車をじっと眺めていました。母の実家が線路沿いにあったのです。夜真っ暗な部屋で布団の中、通過する貨物列車の列車の台数を連結で発するゴトンゴトンという音でカウントしていました。木造平屋の家屋も当然ガタゴトギシギシ列車の通過に合わせて振動していたのでした。もちろん蒸気機関車SLが好きでしたが、一番のお気に入りの列車は、急行『鷲羽』でした。あの濃い緑色と濃いオレンジ色の車体『湘南色』が子供心にとてもカッコよかったのです。湘南色の発祥は80系まで遡るらしいです。それまでは、国鉄車両というと濃い“ブドウ色”一色でした。その後、急行形の153系、165系、近郊形の113系、115系などへとそのツートンカラ―は受け継がれていくのです。急行『鷲羽』は関西(京都と大阪)と、岡山を経由して、四国を結ぶ、往時は大活躍した列車です。もちろん山陽新幹線なんかまだありません。この列車で、大阪から母の実家に行くのですが、(今の時代ありえないことかもしれませんが)一人で乗せられて大阪から岡山まで行ったこともなんどもありました。『鷲羽』に乗って大好きだった祖母の待つ岡山駅までの旅です。母に大阪駅で見送られる時、姫路で丁度真ん中あたり、和気(わけ)からは岡山県だと教えられても、時刻表を持った少年は生意気に『そんなん言わんでもわかってる。何時何分着かも時刻表みればわかるよ』。オレンジジュースとクラッカーを持たされて大人しく(小人らしく?)岡山駅へ約2時間の列車の旅。この『鷲羽』は、岡山駅で停車し少年を下した後、瀬戸内海へ向けて左へカーブして南下し、宇野駅終着。そこから宇高(うこう)連絡船へと四国への旅人を運ぶのです。その宇野線が左へカーブしきった地点、文字通り線路わきに実家がありました。ですから、昼行上り下り(結構本数があった)の『鷲羽』を間近に時刻表どおりに頻繁にみることができたわけです。もうすぐだなと思うと、レールからカタンカタンと聞こえてきて、列車がやってくる。これがとても楽しかった。私が生まれる少し前に他界していた祖父は、明治大正昭和の叩き上げの国鉄マンでした。祖父は鉄道に関しては生き字引のような人であったそうで、祖母や母が「おじいちゃんが生きてたらさぞ可愛がってくれたろうね、糸崎機関区長しよった人やものね」とよく言っていました。現在の糸崎駅(広島県三原市)はローカルな駅でしかありませんが、鉄道雑誌に掲載された写真をみると、往年の糸崎機関区は糸崎駅南にあった規模の大きい機関区で立派な転車台や扇形庫を有していたそうです。山陽本線や呉線の列車を管理していたようです。C62(小生のお気に入り)などSLが沢山ならんでさぞ偉観であったでしょう。

 

『国鉄の香り石鹸』、もったいないので石鹸として使用せず、自室に置いて、その香りを永く楽しむこととしました。派手な香りではないのですが、いい匂いといえばそうですが。どことなく懐かしい匂いといえばそうだったような。国鉄車内の懐かしい匂いかどうかは。。。ウーン微妙。

 

次のメインレースは11月の小江戸川越マラソンです。またブログで報告いたします。