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スタッフブログ

偉丈夫たるも胃丈夫ならず

2019/12/20

中曽根康弘元首相が亡くなりました。御年101歳でした。“風見鶏”とか“日本を不沈空母にする”発言とか色々言われましたが、戦後の総理大臣の中でも他の国の元首と対等に渡り合うことのできた人は彼をおいていなかったでしょう。背も高く人間としてのスケールも大きく押し出しも強かったですね。読売新聞の第2面の最下段に、“首相の一日”が掲載されてます。中曽根首相は、日曜夜、よく台東区谷中の全生庵(ぜんしょうあん)に参禅してから、総理公邸へ戻っておられました。『参禅して何を得ておられるのか?』との記者の質問に、全生庵の方の返答、『得るのではなく捨てにこられるのでしょう』禅問答ですな。全生庵は、幕末明治に活躍した山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)(1836~1888)が幕末明治維新で国事に殉じた人々の菩提を弔うために建立した禅寺で、鉄舟の墓もこの地にあります。小生、学生の時に剣道をやっていた(上手くはない)関係もあり、また鉄舟の生き方に憧れもあって、実は学生時代二度ほど全生庵に参禅したこともあるのです。鉄舟は剣禅書の達人で、勝海舟、高橋泥舟と並び幕末の三舟の一人。勝海舟が西郷隆盛を説得して江戸城無血開城を成し遂げたことになっていますが、実際は、その前に鉄舟が勝から人柄を見込まれ大役を担わされ、鉄舟は敵軍の中を行進し、西郷のもとに参じ説得します。勝と西郷が顔を合わせたときにはすでにシナリオは完成していたらしいですね。

さて12月初め、アップダウンの難コースで名高い小川和紙マラソンハーフの部出走してきました。東上線で小川町駅早朝に到着。気温は7度盆地でさぶい~。昔の街並みがいまも残る武蔵の小京都。質の良い和紙の里、また酒造りも有名ですね。陽が昇ってくるにつれ寒さも弱まり、絶好のマラソン日和となりました。参加ランナーも川越小江戸マラソンほど多くはなく走りやすい。ただ、こういう田舎(失礼)の伝統あるマラソン大会というのは、意外に中高年層にガチランナーが多くレベルが高いものです、ハイ。会場は“小京都おがわ”の歌がほのぼのと繰り返し流れてまして(♪しょうきょうと~おがわ~)、いいなあこのまったりした曲、耳に残りそう。8時45分に254号線旧道沿いの埼玉伝統工芸会館前をスタートしました。やがて254号線小川バイパスのアップダウンコースをヒーコラ走ります。金勝山トンネルを抜け、今度は254号旧道を下り基調で走り、八高線の線路下をくぐり抜けて(レース前の下調べでは、このあたり鉄舟の父親の知行地(ちぎょうち)であったところらしいですね)、八高線に併行しながらやがて小川町市街へ。鉄舟もよく江戸(東京)から小川町に来てたというからこの街道を歩いたのでしょう。書道家だから良質の紙を求めたのかもな。ところで難コースのため10㎞地点での計測ですでにPBよりかなり遅れており、さらに後半の下り基調でも、それまで一緒に集団で走っていた周りのランナー達に置いて行かれちゃいました。最後のエイドでも立ち止まってスポドリをゴキュゴキュ飲む始末。最近ついたこの癖やめないといかんな。自分がどんなペースで走れているのかウオッチも見ないまま、ゴール前の仙元太鼓の応援が聞こえてから申し訳程度のラストスパート。ところがゴールしてみたらPBにわずか8秒足りないのみでした。ウーン悔しい。名物の豚汁をいただいた後、アフターランでは、埼玉医大のラン仲間の先生方、ご家族ならびにお友達と小川町駅前のファミレスで楽しい慰労会。ところで店のすぐ近くには1748年創業の割烹料理二葉(ふたば)があります。ここは鉄舟が小川町に逗留する際、よく訪ねては飲食を(大食いで大酒飲みらしい)したらしいです。8代目当主八木忠七に命じて、『料理に禅味を盛ってみよ』と命じて創作させた『忠七(ちゅうしち)めし』が有名です。大阪かやくめし、東京深川めしなどと並んで日本五大名飯の一つ。温かいご飯に新鮮な海苔をちらし、かつおだし汁をかけて食べるもので、薬味として柚子やさらし葱、わさびを加えます。さらさらとお茶づけのようにしていただくらしい。うまそうだし二日酔いの胃にもやさしそうですね。大酒飲んだ翌日の鉄舟もさらさらと食したのでしょう。TVなんでも鑑定団でたまに鉄舟の書が登場しますが、書の達人だけあって、また依頼されると気前よく応じる人であったらしく、この二葉のみならず小川町には書が沢山残っているようです。

銀座の木村屋総本店(明治2年創業)で買った桜あんぱんを食するところです(看板は鉄舟の揮毫に由来する)。桜の花の梅酢で漬け込んだ後、塩に漬けて仕上げているのだそうです。このパンはくちどけもよく胃にやさしそう。イースト菌ではなく、酒の酵母『酒種(さかだね)』を使って発酵させて作ったところがユニークですね。鉄舟は海舟の推挙で、明治天皇の侍従として教育係も務めました。1875年(明治8年)4月4日、桜あんぱんを鉄舟の提案で天皇に献上したところ、昭憲皇太后がことのほかお気に召されて、ひきつづき納めることになったそう。以来、木村屋総本店は宮内省御用達となっています。4月4日は『あんぱんの日』に制定されました。

鉄舟は大食漢で大酒飲みがたたったのか、晩年胃の大病を患いました。辞世の句は『腹いたや 苦しき中に 明けがらす』見舞いに来た海舟を前に『涅槃に入る』と言い残し、皇居のある方角に向かって座禅を組んだまま大往生したといいます。鉄舟の写真はネットで検索できます。若いときの写真をみるとイケメンですね。身の丈188㎝と偉丈夫(いじょうぶ)です。女性に持てすぎて、家庭の危機を迎えそうになったというエピソードも残されてますね。歴女の皆さまはといえば、お好きなジャンルはやはり戦国時代と幕末でしょうか。幕末では坂本龍馬、土方歳三、近藤勇らが人気なのでしょうね、鉄舟は歴女の間でもまだメジャーな方ではないようですかね。剣の達人で、無刀流の開祖です。しかし実際に人を斬ったことは一度もないそうです。彼こそ真のサムライですよ。幕末の志士達に関心がある歴女の方々に、もう少し人気が出てもいいのじゃないかな。やはり思いを遂げられず悲劇的結末を迎える志士達のほうが歴女の方々のハートを掴むのかな。