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スタッフブログ

♪JOYとJOYとJOYとHAPPYなピーポー

2019/09/10

8月の終わり、埼玉スタジアムナイトマラソンに出走してきました。土曜日の診療を終え、リュックを背負って、電車を乗り継ぎ浦和美園駅下車。歩けど歩けどスタジアム見えてこず5分、やはりおかしいと思い、道行く人に教えてもらい、逆戻り、実に20分近くも歩いてスタジアム前広場に到着。もうウオームアップ要らんな。夕方とはいえ、まだまだ蒸し暑いです。熱中症が恐くて、安全を期して今回はハーフでなく10㎞を選びました。会場は若いランナーや応援する彼女さん達もいっぱい。こういうデートもあるんだな。18時からのスタートですが、一緒にスタートの5㎞の部と、少し前にスタートしたハーフのランナーと入り混じりながら、スタジアムの外周を走ります。今回は1周2.5㎞を4周。10㎞マラソンは今回で6戦目となりますが、これまで走るたびに自己記録PBを更新してきているので、今回も序盤からアドレナリンが出まくって突っ込みました。1-2㎞走って、ランナーもばらけてくると、勢いよく走っている小柄の女性をやがて追うような形になりました。彼女の背中には、〇〇走友会とあります。ランナーズイヤホンつけて、おそらく音楽聴きながら走っているな。キャップの後ろからポニーテールが垂れていて、走るたびに揺れている。かっこいいな。周回ですれ違うランナー仲間なのでしょうか、名前を呼んでもらって、その女性は手を振りながら『今、PBペース(注。自己ベスト)で走れてんねん』。関西出身のおねえちゃんか。元気がいいな、最近のイヤホンは高性能で、音楽も聴きながら、周りの音声も効果的に拾うという優れものか。この女性に引っ張ってもらうことにしよう。周りは周回遅れのランナーやめっちゃ速く私たちを追い抜いて行くガチのハーフランナーばかりで、しばらく並走するように一人旅いや二人旅。マラソン大会では、大体、同じようなペースかやや自分より速いペースの人を見つけて、その後ろを走ることが多いです。いや、そういうランナーを無意識に探すことにしています。風よけにしている、いわゆるドラフティングですが、私も体がでかいのでよく後ろにランナーに付かれます。なんとなく一緒に走っている連帯感のようなものが生まれて、お互い力を借りているのだと思います。

 

マラソンを走っているとき、なにを考えながら走っているのかとよく聞かれます。とくになにも考えていませんと答えるようにしてますが、本当は、自分の走っているペースや体調、姿勢についてチェックする作業をしていることも多いです。あとはぼんやり周りの景色や声援を送ってくれている方々を見ていることが多いですが、五感を通して得られる情報や普段気になっていることをそのまま考え込んだりすることはあまりなく、脳の中に現れても素通りさせているイメージです。イヤホンで音楽を聴きながら走るランナーも多いですが、私はしません。生意気にマラソンはいわば『走る禅』とも捉えているので、音楽を聴くとまた違ったものになるような気がしてならないからです。作家の村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」の中で、『走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客にすぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。』まさに禅ですね。

 

ランナー達のTシャツの背中に書かれているのを何となくみることも楽しみの一つとしているランナーは私だけでしょうか。 NIKE, THE NORTH FACEなど有名ブランドメーカーのロゴが目立つもの、過去のマラソン大会記念Tシャツ(デザインが気に入ってたり、いい走りをしたげんを担いでたり)、○○ウルトラマラソンFINISHER、ウルトラマラソンか、すごいな。○○ランニングクラブ○○走友会だのはよく見かけます。私も一応、東入間医師会駅伝部(年1回の東入間地区駅伝大会参加、その他練習会や飲み会がある)に所属していますので、部員Tシャツは2枚もっています。私が好きなのは、背中に筆文字の書体で、根性! や 己れを超えていけ! などのメッセージ付きのTシャツ。こちらも元気もらえる気がします。NO RUN NO LIFE。いいですね、そうだよね。走好酒(走攻守の駄洒落か)、酒とマラソンと人生と、分かりやすくてよい、アフターランでは仲間と乾杯するのだろう、ランナーには酒好きが多いというもんね。

 

音楽をマラソン中に聴くことの意義について少し考えてみました。マラソンは苦しいです。こんな苦しいもの続けていると、必ず途中で走り辞めたくなります。『脳』が体に走るのをやめさせようとするのです。体を動かしてまさに走っている主体はお前自身だからおかしいじゃないか、とお思いでしょう。でも走りたいから、走ることに決めたから走るのです。やがてそれでも走り続けると、体の不調を理由づけにして走るのを脳はやめさせようとします。息が切れているじゃないか無理するな、ペースを落とせ、今日はもう走り終わりにしようぜ、よく頑張ったよ。早く切り上げて風呂入ってビール飲めよ。悪魔(脳)のささやきですね。マラソン中の熱中症(小生経験あり)で、くらくらとしたり、足がけいれんしたりするのも、もういい加減に辞めないと死んじゃうよと脳が最後通牒の指令をだしているものと考えられます。音楽を聴くというのは、確かにアップテンポな曲の場合など、走るリズムに合っているのかもしれません。わたしはやはり、走っているときの足音、足から伝わってくる地面からの振動、脚の筋肉の躍動(悲鳴?)、呼吸(まわりのランナーと自分の)、風を切る音、応援の声に耳を傾けたいと思っていました。音楽を聴くのはやはり、脳に音楽という餌を与えて、脳をだましていることになるのではないでしょうか。言うことを聞かない子供に、おもちゃやお菓子、ゲーム機を渡して黙らせておくようなものといったら言い過ぎでしょうか。

 

しばらく引っ張ってもらい、9㎞地点くらいで、かの関西のおねえちゃん、私の目の前で、『もうあかん』と発声するや否や、えーっと思う間もなく、急速に後退してゆき後方に退いてしまいました。彼女にとっては前半飛ばしすぎたのでしょう。小生は、なんとかその後も最後まで粘れて ♪『走れー、走れー、俺たーちー』が鳴り響く中、そのままラストスパートできて、ゴール!おかげで PBをさらに1分半も縮めることができました。口の中の塩飴のおかげで熱中症も無事回避。ストイックな禅の走りもいいけど、音楽に助けてもらいながら走るのも悪くないかもしれないな。マラソンは人生そのもの。音楽はその人生を豊かにするもの。できるだけ明るく楽しく無理せず駆け抜けたいものです、Allegro ma non troppo。大会会場で出走前に『陸王』のテーマが流れているのが誇らしくていいけど、やっぱ一番は、『じょいふる』だな。この曲好きだな。